ピエール・メナールの実体化

斉藤斎藤「予言、〈私〉」について



 歌人・斉藤斎藤の第二歌集『人の道、死ぬと町』*1に、「予言、〈私〉」という連作が収録されている。編年体で編まれた本書は、2004年から2015年までの期間の作を収録しており、各年ごとにセクションに分かれている。「予言、〈私〉」は「2012」のセクションに収録されている*2
 この連作についてはもうすこし説明が必要だ。本連作は、『短歌研究』2012年11月号(短歌研究社)が初出で、同じ形で本書にも収録されているが、二つ、大きく異なる点がある。作者名義と「注記」の存在だ。本連作は十首の歌から成り、すべてに関係する出典がある。『人の道、死ぬと町』にはその一覧が、「2013」セクションの終わりに掲載されている。その冒頭の言を引く。

「短歌研究」二〇一二年一一月号初出。斉藤斎藤名義で発表。
十首すべて、原子力に関する他者の発言や作品を引用、もしくは再構成したものだが、初出時は出所を示さなかった。 *3


 つまり、「予言、〈私〉」は雑誌の初出時には、「斉藤斎藤」に二重取り消し線を引いた名義で発表されていた。そして初出時は出典が明記されていなかった。本書には他にも、出典をもつ連作が多く掲載されているが、そのどれもが、連作の直後に続けて出典・注記が記されている。だが「予言、〈私〉」に限っては、セクションひとつ離れたところにあえて掲載されている。
 名義については一旦措こう。「注記」があえて離されて掲載されているのは、やはりこの連作が、「すぐ注記を見るように」あるいは「次の見開きの注記と照らし合わせながら」読むことを、少なくとも初読の時点では拒否するため、と見なしてよいだろう。後述するように、「予言、〈私〉」は引用のルールを違反しているとして、多くの批判を浴びた。だが、それまで複数の連作で綿密な出典明記をしてきた斉藤が、あえて、すべての歌が資料からの再構成から成るこの連作に注記をつけなかったのは、意図的な形式的判断とみなすのが、初出時でも妥当だっただろう。もちろん、著作権上、また厳密に法的でなくとも、モラル上のリスクはある。だがそれを加味したうえで――その意図が成功しているか失敗しているかは後の記述で判断するとして――注記を記さないという表現を選んでいる。

 内容について触れよう。
 斉藤斎藤は、東日本大震災の起こった2011年以後、被災地と、原発および原子力、またそこから連想される被爆地広島を主題として多く連作を作っている。「2013」セクションまでに収められた連作で、明確にその題が読み取れるものや、そうした歌が一首でも含まれるものを引けば、「2011」セクションに「証言、わたし」「棚にきちんと」「それから四月の終わりにかけて」「実際のそれ」「3・11以降の夏バテを考える」「NORMAL RADIATION BACKGROUND 1 池袋」「2 西新宿」「受け取ってください」。「2012」セクションに「死ぬと町」「手帳につけた5分の歌」「昨年の今ごろとこの町の日時計」「予言、〈私〉」「3 福島」。「2013」セクションには「ない」「それから絶望感に押しつぶされそうになりながら、いつかやってくる日をひたすら待ちました」「未来へのキオク」「わたしが減ってゆく街で ~NORMAL RADIATION BACKGROUND 4 東京タワー」「広島復興大博覧会展」。
 およそ三年分のフィクションのほとんどを占める。「広島」という主題が現れるのは、「1 池袋」の最後の歌「フクシマが鎮もればそこには岩が置かれるだろう 何と彫りますか?」の詞書、「広島平和記念公園/「安らかに眠ってください/過ちは/繰り返しませぬから」」だ*4。ただし、震災前の「2008」セクションに収録されている「ボール蹴るコツ」は、広島を題材にした連作で、同記念公園も言及されている。いくつか引く。括弧内は連作中の順番を指す。

慰霊碑に「慰霊」と彫られた巨岩〔ルビ:おおいわ〕を意地でも笑う原爆ドーム前(6)
ときどき鐘の鳴る公園でおとこのこボール蹴るコツつかみつつある(7)
安らかに眠って下さい ここで写真は撮りませぬから(8)
残響音があるうちは、新たに鐘をつかないで下さい 広島市(12) *5


 とくに最後の歌は斉藤が「自選一〇〇首」に取り上げたこともあるらしく、その作として比較的広く知られている。原爆死没者慰霊碑の碑文を繰り返し参照しているところからも、2008年時点での広島被爆への関心が、2011年以後の原発・原子力への関心に接続した、と考えられるだろう。
 さて、このような関心のなかで「予言、〈私〉」は記された。
 「予言、〈私〉」は十首からなる。ひとまず、雑誌初出時を想定して、注記のない状態を考えてみよう。全ては引かないが、十首の旧仮名遣い・新仮名遣いは統一されていないのが特徴だ。一首目の「であろう」、二、四、五、七、八、十首目の「だろう。」は新、三首目「思ふ」は旧仮名だ。10首目には新仮名の「思い」があり、明らかに食い違っている。また目立つのはは五首目だ。

幽靈にゆかりのものまでピカドンがふつとばしてしまつたのだろう。(5)


 促音の「っ」を「つ」と大文字表記するのは旧仮名遣いだが、「だろう」は旧仮名ならば「だらう」と表記されるべきで、新旧の仮名遣いが一首の中で混じっている。連作全体だけでなく、一首のなかでも仮名遣いが混ざっているのは奇妙だ。
 また同連作の歌は、漢字の新字/旧字にかんしても統一感はない。「廣島」「幽靈」「學」「聽く」と旧字で記される文字もあれば、「国」「来」「当」と新字で記される文字もある。これも同様に奇妙である。これらの点について、後にも引く山田消児は「単なるミスでないとすれば、いったいそこにどんな意味があるのか」と疑問を呈している*6。だがいずれの奇妙さもまた、意図的なものと見るべきだ。
 さて、上述の説明のとおり、「だろう。」の語尾で終わる歌が二首ごとに登場する。つまり、三の倍数の歌は「だろう」の語尾ではない。

「腐敗した豚」が空から撒かれ、廣島のあらゆるものが腐るであろう。(1)
原子力利用して結核菌撲滅出来ぬのか胸痛む日はひたすら思ふ(3)
幽靈にゆかりのものまでピカドンがふつとばしてしまつたのだろう。(5)
太陽に相当したものを人類が手に入れたのだから当然だろう。(7)
才能を疑いて去りし學なりき今日新しき心に聽く原子核論(9)


 一首目だけ「であろう」と例外だが、句点の存在により、この明らかな法則を維持する意図は見受けられる。ここでひとつの仮説が立つ。「3の倍数の歌」と「3の倍数でない、『だろう。』の語尾の歌」とで、別のレギュレーションがあるのではないか、という仮説だ。
 さて最後に、上にも引いた九首目を確認しよう。

才能を疑いて去りし學なりき今日新しき心に聽く原子核論(9)


 これは、岡井隆『斉唱』に収録されている歌と一字一句が同じ歌である。これは出典明記がなくとも気づいた読者は多いらしいので、「注記」を無視した想定のここで引いてもよかろう。この注記なき引用は批判のやり玉になっている。2012年に公開されたブログ記事を二つ引こう。

〔…〕出典はおろか、他所からの借り物であるという事実さえ明らかにせずに、連作を構成する一首として、あたかも自分の作品であるかのように発表している。〔…〕他人の歌を借用するなら、何ゆえ本来のルールにしたがって出典を明記しなかったのか。そこのところが、私には、どう考えてもわからない。 *7

考えられるのは、この連作に登場する言葉を、斉藤斎藤という一人の〈私〉に結びつけることへの拒絶である。〔…〕斉藤はこの連作で、作者が斉藤斎藤であることを抹消記号によって打ち消すことによって、誰でもない匿名の、複数存在する〈私〉から言葉を取り出し、十首連作の中で様々な主体から発せられた言葉が共存する、云わば言葉のコラージュを形成することを志向している。それ故、岡井隆の歌が原発容認の歌として、連作の中に切り貼りされて登場するのである。仮名遣いが不統一であることも、言葉のコラージュであるが故の策略なのだろう。//だが、九首目の岡井の歌は本当に、切り貼りされた言葉として機能しているのだろうか。既に吉川をはじめとして、この歌が岡井作品と全く同じであることは多くの歌人が気付いているし、言及もされている。それは結局、この一首が既に岡井隆という〈私〉にしっかりと結びついているがために起きる現象であり、これでは斉藤がこの連作の中で、抹消記号の陰に隠れているのか、岡井隆の影に隠れているのかすら判然としなくなってしまう(ただでさえ、小池光の影に隠れているというのに!)。 *8


 もちろんいずれの批判も、抜書したように単純なものではない。補足すれば、前者の山田は「わからない」と言いながらも、「だろう。」の有無に言及し、また鉤括弧で囲まれたふたつの直接話法からなる六首目を「昔の新聞、雑誌、あるいはビラ、チラシの類からの引用ではないかと推測される」と指摘している。同様に三首目を「これもまた他人の短歌の引き写しではないかという疑いである」と指摘し、「岡井の歌の借用が判明している以上、ほかにも他人の歌が混じっているかもしれないと思うのは、読者にしてみればごく自然な感覚だろう」*9とまとめている。
 山田は九首目について「もし何も知らずに作品を読んでいたら、岡井隆の歌だと気づくことができたかどうか、正直なところ、かなり心許ない」*10と告白しており、自身は個人ブログ経由で発見したために気づいていたと述べている。ともあれ、山田の論以前に気づいてウェブに記した読者がいたということだ。「多くの歌人が気付いているし、言及もされている」と濱松が記したとおり、この「無注記引用」は明白なものだったと思われる。
 さて、ここまでを整理しよう。

・名義に二重取り消し線
・旧仮名と新仮名、旧字と新字の混在
・3の倍数の歌/「だろう。」の歌という二つのカテゴリ
・9首目が岡井隆の歌と全く同じ文字と順序からなる
・しかし、その出典注記はない
・3首目、6首目にも引用の疑いがある。


 以上が、「予言、〈私〉」に、初出時に気がつくことのできる違和感である。
 まず二つ目について、上記の濱松も言及している。「仮名表記の不統一さ〔…〕がどこか異様な空気を醸し出している」「様々な主体から発せられた言葉が共存する、云わば言葉のコラージュ」「仮名遣いが不統一であることも、言葉のコラージュであるが故の策略なのだろう」。つまり仮名遣いおよび漢字の不統一からは、一連の歌が「ひとりの人格の声」に帰されないことがコノテーションされる。形式だけでなく内容からもこれは推察できる。これも濱松が指摘している。

実を言うと、ここに存在する複数の声が、完全に原発擁護の意見であるとは言えないのである。〔…〕連作の二首目にあるこの歌は、素直に読むと原発反対派の、「もしも日本の原発がこれ以上事故を起こし続けたら」という仮定に対する、ひとつの「予言」としての声である。 *11


 原発に対する態度・イデオロギーの歌間での相違は、一人の人間のアンビヴァレントな態度には回収できないほど分裂している、とみなしてよい。
 山田はこの連作の「複声性」に、「引用」の問題も絡めて指摘している。上記の違和感のうち、「3の倍数」「9首目が引用」「3首、6首にも引用の疑いがある」となれば、「3の倍数の歌はいずれも引用なのではないか」と想定できる。山田はここまで強い推定はしないが、「3の倍数」以外の、内容が1950年代の原子力推進期のものでありながら「だろう。」という推量の語尾をもつ歌、つまり「過去のある時の視点でその時点から見た未来について述べたものであるならば、〔…〕予言の歌となるだろう」*12歌と合わせて、以下のように全体を推察する。

作者は誰かといえば、普通の意味ではもちろん斉藤斎藤だが、連作の中には他人の作品が含まれており、それ以外の歌についても、斉藤斎藤の歌ではなくてほかの誰かの言葉だという設定がなされている。それらのことをことさらに主張するためのひとつの力業として、作者名「斉藤斎藤」は二重線によって見せ消ちにされているのである。 *13


 さて、濱松・山田両氏の記述・推定が、2012年のものであったことをいま一度確認しよう。つまり、2016年刊行の『人の道、死ぬと町』で全首の出典が明記されるまえに、以下のような形式的工夫の推定がされえたということだ

・名義に二重取り消し線
・3,6,9首目は引用
・それゆえか、さらにほかに理由があるかもしれないが、仮名・字体が不統一
・それは、〈特定の一人の声〉にしないためではないか


 美術の文脈でもすでに複数の解釈がある「コラージュ」の比喩を用いるのはやめておこう。さて、いま残っている違和感は以下である。

・「だろう。」の頻出
・字体の不統一のさらなる理由
・5首目のなかの不統一


 まず、「だろう。」の歌は、語尾が句読点まで揃っている点から、個々別々の作者の歌の引用である可能性は「3の倍数の歌」より低く、斉藤が手を加えた歌として考えるほうが妥当だろう。またこれらが引用であれば、わざわざ三首、「だろう。」以外の語尾で終わる歌を引用した動機も弱くなってしまう。
では、漢字の字体の不統一はどうだろう。漢字の字体の不統一は、「3首目」ルールにはそぐわない。旧字が用いられているのは1,5,9首目で、旧字があるのに明らかに新字が用いられているのは、2,3,7首目だ。
 さて、「であろう。」という語尾について、濱松が興味深い指摘を紹介している。

この「~だろう」という結句については、既にTwitter上で吉田恭大〔引用者註:歌人〕が、小池光の連作「生存について」(『廃駅』所収)との関連を指摘している。小池の連作は、第二次世界大戦期のドイツでナチス党員であった一人の父親を一人の他者として描いた「ガス室の仕事の合ひ間公園のスワンを見せに行つたであらう」のような歌で有名であるが、この執拗な結句の繰り返しは小池のそれと確かに類似している。 *14


 つまりこの語尾は、過去の他者の視点を想定する文体として採用されている可能性がある。ただし、小池の歌は、過去のその時点で「スワンを見せに行つた」もので、対して斉藤のそれは、より反実仮想的なものが多く、やはり山田の言のとおり「過去のある時の視点でその時点から見た未来について述べた」ものと言えよう。それを山田は「予言」と指摘するわけだが、たとえば引用と推定される3首目にも、「予言」の性質は少し見受けられる。

原子力利用して結核菌撲滅出来ぬのか胸痛む日はひたすら思ふ(3)


 「出来ぬのか」と、結核菌の撲滅ができる未来を空想しているようにも読める。もちろん、原子力にそのような効能はないと(実際にどうかは措いても、当時そのように否定されたとして)、あえてその不可能に反語で言及することで、病への強い思いを表したとも判断できるだろう。
 ともあれ、この「だろう」は、その内容が示す特定の時期、および意見の不統一を鑑みてからも、それぞれ別の他者の視点を想定したもの、と推定されうる。
 その前提であらためて、5首目について考えよう。

幽靈にゆかりのものまでピカドンがふつとばしてしまつたのだろう。(5)


 促音の「っ」が「つ」と旧仮名で表記され、また新仮名で「だろう」と記されている。
 ここでいくつか、妥当に読み込んでもいい外部の文脈を整理する。

・2012年時点で斉藤斎藤はほとんどの作品を「口語新仮名」で作ってきた歌人だということ
・第一歌集『渡辺のわたし』にも遡って考えられるが、本書にも掲載されている連作「今だから、宅間守」(2007)のように、斉藤は他者の視点に成り代わって短歌を作ったことがあること。*15
・「今だから、宅間守」でのそうした歌は、手記や発言記録から再構成して作ったものがあること。以下に例を引く。


詞書:「自分みたいにアホで将来に何の展望もない人間に、家が安定した裕福な子供でもわずか5分、10分で殺される不条理さを世の中に分からせたかった」
歌:家が安定した裕福な子供という不条理を世の中に分からせたかった


 この詞書の出典は、「第一一回被告人質問。『スポーツニッポン』二〇〇二年七月一二日」とある。また獄中手記や弁護士への手紙から再構成した歌もある。
 また同連作には、以下のような歌も見つかる。

詞書:大阪池田小事件の被害者遺族は、「八人の天使の会」を結成する
歌:うちの子は天使じゃない、と思っても言える空気ではなかったろう


 これは過去形であることからなおさら、小池の「であらう。」に似た使い方と判断できる。
 そしてもう一点重要なのは、

・昭和21年内閣告示第33号「新かなづかい」は1946年に出されており*16、1950年代は新仮名・旧仮名の移行期にあった


ことだろう。短歌の仮名遣いは現在でもあえて旧仮名遣いを使っている歌人もいるが、一般的な日記や手記、記事、書き起こし等は、新仮名あるいは旧仮名混じりの新仮名で行われていても不思議ではない。岡井隆の『斉唱』の出版は1956年で、この連作の関わる時期はその頃と推定される。
 ちなみに過去の人物の歌の全文引用が、「1 池袋」に、詞書「井上乙彦、52歳(名前の由来:不明。)/昭和25年4月5日、夜。」の歌「「『笑つて行く』と署名してある壁文字を遺書おく棚のわきに見出しぬ」で見つかる*17
 さて、以上の事実を合わせて整理しよう。

・斉藤斎藤は2012年までほとんどの作品を「口語新仮名」で作っている
・5首目以外はその特徴にあてはまる
・だが、漢字の旧字は斉藤がふだん用いる文法ではない
・また5首目の促音の「つ」は新仮名ではない
・ゆえに5作目は斉藤の作としても、一首の表記統一としても不自然
・「だろう。」という語尾は過去の人物の視点を想定した可能性があり、類例もある
・その類例を含む連作に、他人の手記や発言を再構成した歌が含まれている
・「予言、〈私〉」が想定しうる過去の人物の生きた時代は、新仮名・旧仮名が混じって表記されていたと推定される


 以上の要素を鑑みれば、5首目を、「短歌としての表記の統一を求められないテクスト媒体から、その新旧仮名の混じりぐあいも再現して、その人物の視点から再構成したもの」と推定できる。この規則を他の歌にも当てはめ、「当時の手記や記事、発言記録などから、その仮名遣いも含めて再構成したもの」とみなせる妥当性は、相対的には低い。しかし、この連作が当の語尾「だろう。」によって「3の倍数の歌」と区別された二つのカテゴリに分けられること、旧字の混在、鉤括弧の言葉、また見せ消ちの「斉藤斎藤」名義を考えれば、十分それを想定できるだろう。
  つまり、連作「予言、〈私〉」は、初出の時点で、その

・名義の二重取り消し線
・語尾のパターン
・新旧仮名や新旧字体の混在
・明らかな岡井隆の引用


という違和感と、題材と岡井の歌集の刊行年から推定できる時代、意見の相違、斉藤の従来の作を鑑みれば、〈出典注記がなくとも〉、現在の理解であるような、

・1950年代の手記や発言記録などから再構成した「だろう。」の歌
・同時期の歌人の歌と一字一句同じ歌


が規則的に並んだ連作だ、と、ある程度推定できただろう。
 しかし、これらは「出典注記がなくとも」判明するというだけで、それが「出典注記のない」理由にはならない。山田の言うとおり、注記の欠落は、著作権侵害のリスクやモラルの問題、また気づかない者と気づく者とで読者を選別してしまう「エリート主義」さえ導きかねない。山田はこれらと、意図の不明を理由に、「許されるものではない」と唾棄する。*18
 本稿はこの評価の是非には立ち入らない。しかし、山田が「他人の歌を借用するなら、何ゆえ本来のルールにしたがって出典を明記しなかったのか。そこのところが、私には、どう考えてもわからない」と匙を投げるような、「出典を明記しない」積極的な理由があるはずである。上述したように、斉藤は具体的な他者にかかわる歌を発表するさい、綿密な注記を欠かさなかった。この連作での注記の欠落は何らかの意図にもとづくものだ、と推定して、その意図を考えよう。



 だがその前に、上で確認したことについて、『人の道、死ぬと町』に掲載された注記を確認しながら出典の表記と照合していく。

1首目:ロバート・J・リフトン『死の内の生命 ヒロシマの生存者』。ほぼ同じ構文の一節があり、「腐敗した豚」「であろう」が確認できる。「廣島」は確認できない。
2首目:『読売新聞』掲載の中曾根康弘発言。口語新仮名。「国」が確認できる。
3首目:短歌誌『未来』に掲載された望月栄子の1956年の歌
4首目:『讀賣新聞』掲載の記事から。口語新仮名。
5首目:金井利博「廿世紀の階段―広島の一市民の述懐」。口語新仮名だが、促音が「つ」。ほぼ同じ構文の一節があり、「幽靈」が確認できる。
6首目:短歌誌『未来』に掲載された加藤光一の1954年の歌
7首目:武谷三男「原子力を平和に使えば」口語新仮名。ほぼ同じ構文の一節があり、「当」「だろう」が確認できる。
8首目:長田新編『原爆の子―廣島の少年少女のうったえ』。口語新仮名でところどころ旧字混じりだが、歌に該当する部分にはなし。「だろう」が確認できる。
9首目:岡井隆『斉唱』(1956年刊行)に所収の歌
10首目:落藤久生「原爆と文學 被害者の立場から」。ほぼ同じ構文の一節があり、「だろう」が確認できる。 *19


 ここで触れるべきは「廣島」の表記が出典に見当たらない点だ。かつ、出典のタイトルにあるカタカナ表記「ヒロシマ」を踏襲もしていない。「廣島」の表記は意図的に選ばれたものだが、これは上記の推測にもとづけば、斉藤が、これらは自身の作ではない、少なくとも語彙は引用したものであると仄めかすために、あえてふだんは使わない旧字を採用したと考えられる。
 他の歌の表記には異同がない。ただ10首目だけ、自己言及を仄めかす表現になっている。引く。

「『それを思い出して何になるのだ。』と彼等は苦々しく云うだろう。」


 鉤括弧も含めた歌であり、これだけ特権的な歌であることが想定される。上述の推測と「予言」というタイトルを合わせて考えれば、この歌は引用からの再構成であるとともに、一連の、過去の資料を参照・引用して作られた「予言の歌」全体にたいするコメントとしても読める。そして実際、出典と比べると、鉤括弧は意図的に特権的に付されたものだとわかる。「苦々しく云うだろう。」は地の文であり、それはたとえば1首目の「あらゆるものが腐るであろう」と同じオーダーだ。それでいて鉤括弧にあえて入れているのは、そうした意図があると推測できる。
 しかし、この操作は混乱をもたらしてもいる。前段落の推定は、まず「全体が引用・再構成からなる」と承知したうえで、さらにメタ的・自己言及的な歌として10首目を解釈できるというものだが、そもそも「全体が引用・再構成からなる」という推定を、この10首目の鉤括弧が妨げるのだ。つまり、上まで長々とおこなった形式的・文脈的な推定は、この10首目を意図的に無視して安定する。
 山田はこの10首目に関して、以下のような推定を行う。

〔…〕先立つ九首を前提に置いて解読するならば、「予言」をはじめとする過去に発せられた言葉について、結果がわかってからあれこれ言ってみてもしかたがないと、当の発言者たち自身が開き直って主張している場面が浮かんでくる。〔…〕 では、歌の中でそう予測している主体は誰か。答は作者であろう。歌を囲んだカギ括弧は、この場合、台詞を意味するのでも引用を意味するのでもなく、普通とは逆に、作者自身の言葉であることを示している。つまり、九首目まで自分ではない九人の誰かの言葉を並べた斉藤斎藤が、十首目に至ってはじめて自らの声を発したのである。だが、すでに二重線で作者として自らの存在を消してしまっている以上、その言葉はカギ括弧によって括られざるをえない。 *20


 メタ的な意味合いは受け取っているが、むしろそれゆえに、鉤括弧で括られたこの一首を山田は「引用ではない」と判定している。そのために「3の倍数とそうでない歌」のパターンが崩れ、他の歌についても、「引用/再構成」のパターンがあると推定しづらくなっているのだ。たとい連作が頭から順に読まれることを前提としていても、この一首が、そうした推定の妨げになることは疑いえない。もちろん上記のように推定させるのが作家の意図だとは断定できない。



 さて話を戻す。
 「出典注記をあえて欠落した」積極的な理由を考えよう。二つの点がヒントになる。
 まず、冒頭でも記したとおり、「予言、〈私〉」の連作自体は「2012」セクションに収められているのにたいし、出典注記は「2013」セクションの最後、ページにして86ページ先に置かれている。他の連作では出典が直後に置かれていることと比べても、やはり「予言、〈私〉」は、即座に出典を確認して、照合しながら読まれることを避けている。本を頭から読み、かつ目次にもこの出典注記の存在が記されていない以上、注記に気づくのは、連作を読んでからしばらく後になる。そのあいだ読者は、初出時と同じく、「出典注記のないが、あきらかに、少なくとも岡井隆から一首、引用(と再構成)がなされている連作」として受け取る。
 もうひとつは、この出典注記が、長大な連作「広島復興大博覧会展」の後に置かれている点だ。この連作も多くの出典注記をもち、直後に置かれているため、「予言、〈私〉」の出典注記はさらにその直後に置かれている。ふたつの出典注記が連続して並んでおり、これにも意図があるはずだ。
 「広島復興大博覧会展」は百首以上にわたる連作で、上で触れた「今だから、宅間守」などの作のように、各々の詞書や歌に、参照元がある。だが一点異なる点がある。それは、連作の側に注釈番号がないのだ。番号は注記の側にのみある。

引用・参考文献(「一」は一首目の歌、「1」は一首目の歌の詞書を指す。) *21


 注釈の側にのみ番号があるため、読者は、それぞれの歌が何首目かをいちいち数えていなければ、注釈を参照することができない。あるいは注釈の側から探そうにも、順に数えていくほかない。「広島復興大博覧会展」は、注記の機能や必要は残しながらも、照合だけを難儀にしているのだ。この連作にも、過去の歌人の作品と一字一句同じ歌が20首近く含まれており、「予言、〈私〉」同様かそれ以上に、口語新仮名の歌と、文語旧仮名の歌とのコントラストが目立つ。だがこの歌も、注記と照合して、過去の歌人の歌と一字一句同じであると確かめるのは難儀で、読者はなかばそれを想定しながらも、あいまいなまま、読み続ける。
 「予言、〈私〉」の「注記欠落」が催す印象も、これに近いものではないだろうか。斉藤は、それら過去の歌人と一字一句同じ歌を、「どこからかやってきた歌ではあるが、(即座には)その歌人の名のもとで読まれない」ようにしたのではないか
 斉藤斎藤は、岡井らの歌に関して「引用のルールを守っていない」。逆説的にそれはこう判断できる。ある意味それらは「引用ではない」のだ

 ホルヘ・ルイス・ボルヘスに、「『ドン・キホーテ』の著者、ピエール・メナール」という短編がある*22。この有名すぎる小編のあらすじは以下のとおりだ。

1900年前後から論文や詩を発表していた作家、ピエール・メナールがいた。19世紀のフランスに育った彼の未完の大作、それは、セルバンテスの『ドン・キホーテ』第一部第九章・第三十八章、また第二十二章の断片とまったく同一のテクストから成っている。だがメナールは、『ドン・キホーテ』を引用あるいはアプロプリエーションしたのではない。彼は『ドン・キホーテ』を「書いた」のだ。


 以下は、いくつかの節を引用して説明しよう。

彼はべつの『ドン・キホーテ』を書くこと――これは容易である――を願わず、『ドン・キホーテ』そのものを書こうとした。いうまでもないが、彼は原本の機械的な転写を意図したのではなかった。それを引き写そうとは思わなかった。彼の素晴らしい野心は、ミゲル・デ=セルバンテスのそれと――単語と単語が、行と行が――一致するようなページを産みだすことだった。

〔…〕ピエール・メナールであり続け、このピエール・メナールのさまざまな経験をとおして『ドン・キホーテ』に達すること〔…〕


 メナールの『ドン・キホーテ』は引用ではない。彼が彼のまま、その一字一句同じ文へと到達して記したものだ。こうしてテクストの形式的な同一性は問いに付されていく。語り手はついに、メナールが再現しなかった『ドン・キホーテ』の一節にさえ、メナールの「文体を認め」「このみごとな句のなかに彼の声のようなものを聞い」てしまう。

メナールの断片的な『ドン・キホーテ』はセルバンテスのそれ以上に精緻である。後者は騎士道小説にたいして故国の貧しい地方的現実を大ざっぱに対置させ、メナールはレパントとロペの世紀におけるカルメンの国を「現実」としてえらんでいる。〔…〕彼の作品には、ジプシーの群れも、征服者たちも、神秘主義者たちも、フェリーペ二世も、異端審問も出てこない。彼は地方色を無視した、あるいは自分に禁じた。この軽視は歴史小説の新しい意味を示している。

セルバンテスのテクストとメナールのテクストは文字どおり同一であるが、しかし後者のほうが、ほとんど無限に豊かである〔…〕。

文体の対照もまた甚だしい。メナール――彼は結局、外国人である――の擬古的な文体にはある気取りが見られる。先駆者〔セルバンテス〕の文体にはそれがなく、その時代の普通のスペイン語を自在に操っている。


 はたして、この「同じだが引用ではない」という文学のフィクションを、「予言、〈私〉」と対比させて、この稿を締めよう
 「予言、〈私〉」にある、望月栄子、加藤光一、岡井隆の歌とそれぞれ「文字どおり同一」の歌は、しかし引用元が削られていることで、それが「引用でない」ことを示す。それはもしかしたら「新たに書かれた」ものかもしれないのだ。もちろん『人の道、死ぬと町』で種明かしがされていることは念頭に置いたうえで、その初出時の状態、あるいは歌集に収められても注記を遠ざけたこの連作は、なおも、それが「1956年に岡井隆が詠んだのではないもの」として読まれるよう、読者に促してはいないだろうか。
 それ以外の「だろう。」の歌は、当時の手記や記事から再構成されたものだ。だが現在の歌人や詩人も、ふだんの自分の言葉から、ふと定型や詩型におさめて、作品とすることがあるだろう。斉藤斎藤がおこなった再構成は、当時の手記から「現代において再構成する」ものではなく、〈当時、この手記を書いたり、発言をしたり、記事を読んだ人間が、歌人だったなら〉というフィクションを立ち上げるような操作かもしれない。この二つの解釈は、拮抗しながら両立する。「だろう。」という語尾につながるのは、小池の歌のように過去形ではない。つまり、文体の点でそれらの歌、現在から遡って想定したもの、「反実仮想」と読む必要はなく、〈その当時に無名の歌人、実際にはいなかった歌人、少なくとも実際に歌詠みとしては存在しなかった人物によって詠まれた、文字通りの未来の予言〉の歌なのだ。
 さてこの解釈を携えて、3,6,9首目に戻ろう。いまやこれらの歌をも――岡井隆の歌をも――「無名の歌人、実際にはいなかった歌人、少なくとも実際に歌詠みとしては存在しなかった人物」によって作られたものだ、として読むことができる。

才能を疑いて去りし學なりき今日新しき心に聽く原子核論(9)


 歌の主体は、自らの才能を信じきれず大学を去ったある無名の個人だ。だが彼が戦後になって、日本に新しく入ってきた原子力の理論を、はればれと聴いている。そのさまを、岡井隆という名を忘れて、別の場所で、別の時間で、別の情況で、別の体験、別の「わたし」を伴って作られたものとして、たまたまそれは一字一句同じであるけれども、されどなお「違う」ものとして、読む機会を与える
 だがそれはメナールの『ドン・キホーテ』と異なり、作品の解釈を多元化するようなものではないかもしれない。なおも時代は固定されているし、斉藤や大辻隆弘も論じるように*23、文語の歌には、その視点に特定の「われ」がしっかりと張り付いている。だからここではこう解すべきなのだ。「このように詠む別の、無言の〈われ〉が、その時代には数知れずいた」。そのひとりがたまたま岡井隆という歌人になったのであり、他の誰かは原子核論学者になった。あるいは他の誰かは地方に嫁ぎ、他の誰かは道でのたれ死んだ。あるいは他の誰かは、誰も目もくれない雑誌にこの歌を投稿したまま埋もれ、他の作品にも恵まれず、しばらくして短歌をやめ、岡井隆にはなれなかった。だがたしかに彼はいた。
 斉藤は、このボルヘス的な他者のあらわれ、「他のテクスト」のあらわれを想定して、「予言、〈私〉」の注記を欠落ないし遠ざけたのではなかろうか。もちろん注記の欠落は、山田が指摘するような一連のリスクを免れない。だがボルヘスが「語る」ことしかできなかった「別のドン・キホーテ」を、斉藤は、テクストの形式のフィクションとして「実体化するinstantiate」試みを行なったのだ。そのうえで、斉藤の工夫の巧拙は判断されるだろう。
 二つのフレーズを、片方は同じ「ピエール・メナール」から引用して、本稿を締めよう。

十七世紀に『ドン・キホーテ』を書くことは、道理のある、必然的な、おそらく宿命的な仕事でした。二十世紀の初めでは、それはおよそ不可能なことです。

人は様々な可能性を抱いてこの世に生れて来る。〔…〕然し彼は彼以外のものにはなれなかつた。これは驚く可き事実である。(小林秀雄「様々なる意匠」)









*1 斉藤斎藤『人の道、死ぬと町』短歌研究社、2016。以下特に明記のないページ数はすべてこの本から。表紙・裏表紙・背表紙に「歌集」と記されていないこの本を「歌集」と呼ぶべきかは、三上春海+鈴木ちはね『時間のかかる短歌入門①』(2016、稀風社)で触れられている。
*2 斉藤,同 pp.200-201。セクションの番号が年号になっているだけで、必ずしもそれが制作年を指しているとは限らないが、本稿ではセクションの年代を制作年として読む。本書の編年体については、三上+鈴木,同で触れられている。
*3 p.286
*4 斉藤, 同 pp.174-175
*5 斉藤, 同 pp.88-89
*6 山田消児「斉藤斎藤論」、密林社『Es 囀る』24号、2012、p.20
*7 山田, 同 p.20
*8 濱松哲朗「短歌における〈私〉、責任、倫理の問題——「短歌研究」2012年11月号という、放送事故――(2)」ブログ「Molto Espressivo」より。http://tetsurohamamatsu.blog.fc2.com/blog-entry-236.html
*9 山田, 同 p.18
*10 山田, 同 p.19
*11 濱松, 同
*12 山田,同 p.17
*13 山田,同 p.18
*14 濱松,同
*15 斉藤, 同 pp.60-70
*16 「現代仮名遣い:文部科学省」より。http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/nc/k19860701001/k19860701001.html
*17 斉藤,同 p.173
*18 山田,同 p.20
*19 斉藤,同 pp.286-287
*20 山田,同 p.19
*21 斉藤,同 p.280
*22 J.L.ボルヘス、鼓直訳、『伝奇集』、岩波書店、1993、pp.53-69。以下の引用はページ数を略す。
*23 斉藤斎藤「文語の〈われわれ〉、口語の〈わ〉〈た〉〈し〉」、大辻隆弘「三つの「私」」、ともに短歌研究社、『短歌研究』2014年11月号所収




2019/12/06 updated