クーデター」は、フランス語で「coup d’état」と綴る。これは「国家への一撃」という意味で、「état」が「国家」つまり「State」だ。国家とはフィクションである。そこに一応あるものということで、投機的に定立され、その意義を信じると機能するもの。だから国家は、その領域と理念を「宣言する(state)」必要がある。閉じた場所に理念を満たすなんて展覧会のようだ。特に最近は、閉じすぎて誰もいなかったりする。展覧会も「ステートメント(statement)」がつきものだ。


この企画では、さまざまな展覧会のステートメント(容易にアクセスできるもの)を、丁寧に読みます。美術的な文脈を補完したり、展示本体と綿密に照合するのはあくまで副産物で、主な目的は、そこにある文章を、丁寧に、国語の授業のように(より少しハイレベルに)読むことです。作者の考えを述べなさい。文法や語彙、レトリックに注目します。「レトリック」はもともと演説の技術なので、ステートと関係するはずです。要は読み書きの問題です。

企画者:大岩雄典
お問い合わせ:euske.oiwa@gmail.com
協力:東京藝術大学大学院映像研究科

6月

(ジーエヌシーケイ)評論家。美術批評。キャラ・画像・インターネット研究。1988年東京生まれ。 「画像の演算性の美学」を軸に、webイラストから現代美術まで研究する。 美術手帖第15回芸術評論募集第一席。論考に「電子のメディウムの時代」ほか。http://gnck.net
アニメーション・イラストレーション・美術に主な関心。最近の論文に「日本デザイン史におけるイラストレーションの定着とその意味の拡大をめぐって ー1960年代の言説を中心に」(『多摩美術大学研究紀要』第34号)がある。https://ytsukada.themedia.jp/
1988年生まれ。東京都在住の会社員。いぬのせなか座メンバー。近著に『私的なものへの配慮No.3』「10日間で作文を上手にする方法」「現代短歌のテキストマイニング―𠮷田恭大『光と私語』を題材に」「演劇にとってあなたはどのような観客か」。主な関心領域は言語表現史、リテラシー、文化経済学、自然言語処理、オープンサイエンス、プライバシー、情報法制、データ流通など。https://inunosenakaza.com/
1993年生まれ。美術家。東京藝術大学大学院博士後期課程在籍。フィクション、修辞、インスタレーション、詐欺をしている。2019年に「スローアクター」(駒込倉庫)、2020年2月に個展「別れ話」(北千住BUoY)を開催。第16回芸術評論募集にて佳作入選。最近では『パンのパン』『早稲田文学』『美術手帖』に論考を寄稿。 euskeoiwa.com
書き起こしドキュメントの公開を準備しています。
  • 試し読み(準備中)
  • PDFで試し読み(準備中)
  • 全編販売サイト(準備中)
2時間半ぶんのトークを全編収録した書き起こしを公開準備中です。

8月

1989年生まれ。日本近現代美術史。2016年より群馬県立館林美術館学芸員、2019年4月より現職。主な企画として「時代に生き、時代を超える 板橋区立美術館コレクションの日本近代洋画 1920s−1950s」(2018年、群馬県立館林美術館)、「アーティスト・プロジェクト #2.04 トモトシ 有酸素ナンパ」(2019-20年、埼玉県立近代美術館)。埼玉県立近代美術館
パフォーマンスやテキスト、展覧会企画などさまざまな方法を通じて、どのように何が伝わるのかについて考えています。近年の主なグループ展に 「二つの部屋、三つのケース」京都芸術センター(2019、京都市・京都)「トラベラー:まだ見ぬ地を踏むために」(2018、国立国際美術館・大阪)。主な企画に「5月」以外スタジオ(2019、北千住・東京)とそれ以外、「漂白する私性 漂泊する詩性」(2018、横浜市民ギャラリー・神奈川)ほか。過去の作品「5月」
短歌の本に「トントングラム」(2014年・書肆侃侃房)、個人冊子に「普通に嫌な話」があります。ラップバトルと短歌が好きです。Twitter
1993年生まれ。美術家。東京藝術大学大学院博士後期課程在籍。フィクション、修辞、インスタレーション、詐欺をしている。2019年に個展「スローアクター」(駒込倉庫)、2020年2月に個展「別れ話」(北千住BUoY)を開催。第16回芸術評論募集にて佳作入選。最近では『パンのパン』『早稲田文学』『美術手帖』に論考を寄稿。 euskeoiwa.com
2020年8月に予定していた開催を延期しています。

「ステートメント」は奇妙な文章です。たとえば展覧会に寄せられたステートメントと、作家が自身の活動理念を宣言するステートメントは異なります。さらに、署名が誰か、どの形で公開されたか、詩的なものか説明文か……いったいこの気味のわるい文章は、何なのでしょう。


今回は、以下のような基準を採用しました。

  • ウェブやフライヤーで確認できるもの。
  • 展示会期より前から、広報に用いられているもの。
  • 署名・無記名は不問。
  • 「ステートメント」と必ずしも銘打たれていなくても、実質的に巻頭言として機能し、コンセプトを伝えているもの。
  • 作家のキャリアや既発表作品の紹介に終始するものは除く。
  • 展示会期より後に公開されたものは含まない。

これらが想定しているのは、必ずし一般的で歴史的な定義や、形式的な画定ではなく、ステートメントの機能のしかたです。

展覧会の開幕に先立って公開されたテクストは、展示自体が見られる前に、独立したものとして鑑賞されます。それは、当の展示が存在しないうちから、この世界に付け加えられた、ひとつのキャプションです。そして、ほとんど展示の外にあるという点で、インターフェース、語り手でもあります。

さらに、展覧会が終わっても公開され続けることで、(もはや観ることのできない)展示とやはり独立して、それどころか、時に展示自体より頻繁に、参照されるものとなるでしょう。


ひとつの文章を読むには時間がかかります。短い時間でそんなに多く扱えるつもりはありません。とはいえこの企画は、ウェブとSNSの時代にもっとも活発に働く現代美術のメディウムのひとつである「ステートメント」の、読み書きという技術とその慣習を考えたいと思います。