Online / Publishing

片山真妃「αMと遠近法」展評
巡礼者の血痕
カール・アンドレ《上昇》について
カール・アンドレの伏せた錆
インスタレーションという芸術はカードゲームかもしれなかった
「うそのたばこ店」メールマガジン寄稿抜粋
彼は合宿が好き、合宿も彼が好き──「展示力合宿! in かなざわ」レポート
アーツカウンシル金沢
挑戦状——インスタレーションとしてのアーティストとステートメントの観客
ART RESEARCH ONLINE
アンネ・リング・ピーターセン『インスタレーション・アート:イメージと舞台のあいだ』大略 キルシ・ペルトマキ『状況の美学:マイケル・アッシャーの仕事』大略 ロベルタ・スミス『インスタレーション・アートとかいう甘やかされたガキについて』解説 ジュリー・H・ライス『周縁から中心へ:インスタレーション・アートの諸空間』大略 キャサリン・エルウェス『インスタレーションと映像』大略 ダンスホール——空間の(再)空間化
ART RESEARCH ONLINE
ユリアーネ・レーベンティッシュ『インスタレーション・アートの美学』大略 クレア・ビショップ『インスタレーション・アート:ある批評史』大略 ピエール・メナールの実体化
斉藤斎藤「予言、〈私〉」について
宮坂直樹「Three Spaces」展評
ハイド・アンド・シーク
ウェブ版美術手帖2019年度連載 第16回芸術評論募集 佳作入選
別の筆触としてのソフトウェア:絵画のうえで癒着/剥離する複数の意味論
「スローアクター」トークイベント
階(レベル)上げ
ゲームとインスタレーションの時空間

「スローアクター」トークイベント
re・だんだん・see
一望できないものの設計と批評
3Dスキャンとは回廊である
「ビヨンド・マテリアライジング」展についての覚え書き
【翻訳】
レインフォレスト・スカリー=ブレイカー「〈実践される実践〉:ド・セルトー、ヴィリリオとともに空間をスピードランする」
東京都写真美術館「マジック・ランタン 光と影の映像史」展評
映像という魔術のオペレーター
ウェブ版美術手帖
作品の〈多焦点〉性についてのメモ
《いつまでも見知らぬ二人》を例に
「Re/place」展とARタテカンについての覚え書き
展示形式の政治性
役者の物質性
和牛「オネエと合コン」、チェルフィッチュ「三月の5日間」、シベリア少女鉄道「今、僕たちに出来る事、あと、出来ない事」についての覚え書き
双子のステップ
古畑任三郎シリーズ『今、甦る死』『ラスト・ダンス』について
バニーガールに既成事実を
橘上『複雑骨折』について
詩歌梁山泊
パラローグする〈わたし〉
円城塔『プロローグ』について
記号のダイアグラム、…的なもの、新発明 コンコースで踊る
《オブジェクトディスコ》トークへの補遺
回り道と錯覚
山内祥太《恐怖の回り道》について
秘密のメディウム
河野聡子『地上で起きた出来事はぜんぶここからみている』について
いぬのせなか座 河野聡子『地上で起きた出来事はぜんぶここからみている』をめぐって
サーファーの三つのテクスト 「いま」どうしの無時間的関係としての「超・いま」、またその上演舞台としてのディスプレイ
谷口暁彦《超・いま・ここ》について
トークイベント
バグる美術
パフォーマンス企画「空間と記述」アフタートーク コギトのダイナミックな汎夢的モデルについて
『ゼルダの伝説 時のオカリナ』『ムジュラの仮面』の考察
ビデオゲームのバグを用いたプレイにおける経験およびキャラクターについての覚え書き 忘却のなかで名を呼び続ける「希望」
新海誠監督『君の名は。』について
個展「わたしはこれらを展示できてうれしいし、あなたはこれらを見てうれしく、これらは展示されてうれしい」ギャラリー・トーク

Publishing

2024

ホラーブームが怖い。
対談
大森時生・大岩雄典
『BRUTUS』2024年8月1日号, 特集:もっと怖いもの見たさ。, マガジンハウス

ウェブに転載
特別企画 異界への扉をひらく〈怖怖怖怖怖〉作品ガイド
短評
朝宮運河・大岩雄典・廣田龍平・藤原萌
『文藝』2024年秋季号, 特集2:怖怖怖怖怖, 河出書房新社
絵画あるいは芸術祭の不気味な兄弟たち――グリッド、指標性のスペクタクル、委託されたキュレーターシップ:第12回ペルリン・ビエンナーレとドクメンタ15について
展評
『パンのパン04(下)』
心霊というスペクタクルのインスタレーション:わたしたちのポップでポーヴェラな下方修正
展評
『見たら呪われる図録』, 小寺創太・江口智之「ストーンテープ〜見たら呪われる展示〜」図録

2023

開いている門は開いているし閉まっている門は閉まっている
批評
『現代思想』2024年1月臨時増刊号, 総特集:カフカ, 青土社
絵画あるいは芸術祭の不気味な兄弟たち――グリッド、指標性のスペクタクル、委託されたキュレーターシップ:第12回ペルリン・ビエンナーレとドクメンタ15について
展評
『パンのパン04(下)』収録予定のものを先行電子配信, Kindle /
PDF販売

2022

霊と籤:写真と霊のあらわれの演劇性または意図性について
批評
『ユリイカ』2022年9月号, 特集:Jホラーの現在, 青土社
不自然でうける:話法・語り・ツッコミの自由なポリフォニー
批評
『ユリイカ』2022年8月号, 特集:現代語の世界, 青土社
ARTIST PICKUP 小寺創太
インタビュー・構成
『美術手帖』2022年7月号, 美術出版社
レインフォレスト・スカリー゠ブレイカー「スピードラン版事故の博物館」
翻訳・解説
『BANDIT』vol.1, 特集:RTA NOW!, BANDIT
テクネーと天然:M-1グランプリ2021における拍手のインタラクション
批評
『悲劇喜劇』2022年3月号, 早川書房

2021

指揮と指南:十代目柳家小三治における了見と演劇性
批評
『ユリイカ』2021年12月号, 特集:柳家小三治, 青土社
マーク・フィッシャー『怪奇なものとぞっとするもの(The Werid and the Eerie)』
抄訳・解説
「時空間のホラー:怪奇なアルゴリズムとぞっとする時差」
論考
『早稲田文学』2021年秋号, 早稲田文学編集室編, 筑摩書房
さらば、全てのアヴァン……
ロザリンド・E・クラウス『アヴァンギャルドのオリジナリティ:モダニズムの神話』(月曜社)書評
『美術手帖』2021年6月号, 美術出版社
M-1グランプリ2020の「演劇性」:もしくは「演劇性」はなぜそう呼ばれるか
批評
『悲劇喜劇』2021年5月号, 早川書房
インスタレーションの異質な空間の空間化:プロセス化可能性とリテラスネス
研究ノート
『LOOP 映像メディア学 vol.11』東京芸術大学大学院映像研究科編, 左右社

2020

キス、自害、もしくはアリスを突き放すことの自然さについて:ヴィデオゲームのプレイあるいは攻略の自然主義・試論/『デトロイト ビカム ヒューマン』論
ゲーム論
ビンダー Vol.7, 特集:自然, ククラス
じゃなくて、私がゴドーです……あるいは、Oui. Étrange, donc je le suis:別役実と志村けんの存在論的笑い
批評
『ユリイカ』2020年10月臨時増刊号, 特集:別役実, 青土社
助動詞とインスタレーション
エッセイ
『ねむらない樹』vol.5, 書肆侃侃房
壁抜けと攻略:ゲームとインスタレーション(をプレイする)
インスタレーション論/ゲームブック
『美術手帖』2020年8月号, 美術出版社
怯えとツッコミ:千鳥、トム・ブラウン、まんじゅう大帝国、ぺこぱにおける漫才の「加減」
漫才論
『早稲田文学 2020年夏号』早稲田文学編集室編, 筑摩書房
物語に「外」などない:ヴィデオゲームの不自然な物語論
サーベイ論文
『LOOP 映像メディア学 vol.10』東京芸術大学大学院映像研究科編, 左右社
メディウムとしての批評(的な)
ロザリンド・クラウス論・批評論
『美術手帖』2020年2月号, 美術出版社

2019

ボケの昇階、笑いの押し寄せ、肯定のツッコミ
漫才論
『早稲田文学 増刊号「笑い」はどこから来るのか?』早稲田文学編集室編, 筑摩書房
パラ文学的な密室:レオ・スタインバーグ「哲学的な娼窟」論
批評論
『パンのパン04(上)近現代美術とコンテンツとインターネット特集号』きりとりめでる編