『ハーフリアル』*1では触れられていなかったが、バグを使った最速ゲームプレイ*2のような、つまり、いわゆる標準ルート*3でのフラグの順序を、構造の抜け穴を利用して無視したもの──ストーリー上では二つ目のダンジョンを、そこに挑戦することが可能で、かつ最速でのクリアに寄与するならば、一つ目より先にクリアしてしまう──の「時間経験」*4はどうなっているのか。
(細かい壁抜けなどのバグは一旦無視して、*5)つまり「段階を踏むはずのフラグが、後半のみ回収することで前半の未回収を無視しえたり*6(最速プレイという性質から、その逆はあまりありえない。*7ただしストーリー上で「未回収」に見えるものが「フラグ回収」だったりもする*8)、ムービーの順序が入れ替わったり*9するせいでキャラクターの物語内経験はもちろん、素朴な*10プレイヤーのプレイ経験もまた同一性が脆弱になる。他人の一貫した経験の継起順序をシャッフルした(そういう演出がなされる映画や小説もある*11)ようなシークエンスの鑑賞-プレイ体験*12になるかもしれない。ただし大概の作品でそのようなシャッフル演出が用いられる場合は、その断片を全て把握することで一貫した構造が再構成できる*13ようになっているのに対して、ここでは「ひたすらフラグ回収の最速パターン」以外に無関心であるため、一貫性に空白ができ、場合によっては矛盾するような断片の集合になってしまう。たとえばムービーごとに固有の時間が、前後のプレイからしか文脈づけられておらず、かつそのプレイがスキップされてしまった場合、ムービー単体に固有の時間的位置は捨象されることになる。時間的に順序が定まらない二つのムービーで共立不可能に見える内容が起きるときもある(もちろん確実的同時性が見出せるわけはないので、完全な矛盾とは言えないが))*14。
ともかくこの、夢のようだが、実際の夢ほど因果の一貫性が錯綜してもおらず、「おおむね頭と終わりは合っているし、とりわけ重要なイベントの継起順も合っている」*15が、「しかし、細かなダンジョン、それこそストーリー上で標準的だが偶然的な攻略順序(たとえば、特定の地点に関して、もっとも近いダンジョンから制覇することを促すために、そこから経路が標準プレイだと制限されているが、壁抜けによってその制限を突破できる)については、順序が錯綜するあるいはスキップされている」という程度の脱臼になる。*16
このとき、いかにその経験はあるのかという問いに対する考えられる最初の回答は、単純に、プレイヤーの”ゲーム外”身体、つまり夕飯になったらゲームを止め、またセーブ箇所から再開する、ゲームプレイがどうであろうとも強固な同一性・持続性を保持している身体の上に「並べられた、不完全なパズル」*17として経験される、というものだ。しかしその一方で、ムービーや個々のプレイを通して、われわれはやはりそのゲームの中に「没入している」*18。没入しながら、フラグの錯綜を平然と行いつつプレイ経験を継続したり、あるいは「死んでも生きる」バグや「壁を抜ける」バグを、平然と行なったりする。特に最速プレイなどは動画コンテンツとして公開されるのを考えるとさらに複雑である。プレイヤーはバグ技を発動させるために微妙なキー入力をせねばならず、ゆえに没入体験から疎外される──機械-コントローラー的経験*19、『マトリックス』*20でいう幻想の外へ逸脱するような──とも言えるが、いっぽう動画の視聴者の経験はさらに複雑である。(これは、そもそもプレイ動画を見るという経験自体がどのように作動しているかを考えないといけない*21。単に自分がプレイヤーとなってそれを操作しているかのように感じる場合もあれば、プレイ者の声を聞きながらつまり友達がプレイしているのを見ながら映画のように感じる場合もある)。今回の場合は、最速プレイというものそれ自体が秘教的*22であるため、鑑賞者が没入しやすいのはストーリー、および同一性が錯綜したキャラクターのほうなのだが、しかしその「非同一性」および「あからさまな逸脱性」から、キャラクターの人格character*23に没入することは妨げられ、”自律移動する”キャラクターが、ゲームの内側から(ネオ*24のように)構造を食い破り、つまりプレイヤー側=ゲーム外ではなく、むしろゲームの深部、下-ゲーム、プログラムレベル、いわばゲームの「現実界」すれすれで同一性を組織し*25、「想像的な」「象徴的な」現れでの破綻を飲み込みながら活動しているさまを、”客体として”観る、という経験ではなかろうか。その「自律した”かつ、ゲーム構造よりも強い”キャラクター」というものは、RTA*26やTAS*27のプレイに見られるものや、あるいは"TASというキャラクター"*28そのものではなかろうか。