【翻訳】〈実践される実践〉:ド・セルトー、ヴィリリオとともに空間をスピードランする(PDF) (2018.11.2 訳注30を詳細なものに差し替え)
アブストラクト
本稿は、ゲームプレイの創発的な実践である「スピードラン」と、また語りの空間としてのゲームとのその関係について論じる。スピードランとは、チートやチート用デバイスを用いずに可能なかぎり速くゲームをクリアする過程を指す。本稿では、ミシェル・ド・セルトーの「空間の実践」概念とポール・ヴィリリオの「速度の暴力」についての議論を枠組みに、スピードランを〈あざやかな走り/破壊的な走り〉という二つに分類してその概念を定義する。〈あざやかな走り〉とは、そのゲーム空間の語りの構造がほぼ損なわれないものを言う。いっぽう〈破壊的な走り〉においてはヴィリリオの言う「速度の暴力」が表出し、ド・セルトーの言う「語りの境界線」はプレイヤーによって引き裂かれる。また、プレイヤーがゲームにおいて出会うルールを〈暗黙のルール/明確なルール〉の二つに区別することもまた、語りの空間としてのゲームとスピードランとの関係を論じるにあたっては不可欠である。〈暗黙のルール〉は、ゲームのバーチャル世界が全体としてまとまっているという前提、ホイジンガの言う「マジック・サークル」によって存在するものである。たいして〈明確なルール〉は、実際にゲームを統制するものである。スピードランナーは、ゲームプレイ全体の連続性を迂回するためにこの〈明確なルール〉を探し出す。わたしたちはスピードランを、「空間の実践」の中での「空間の実践」、もしくは〈実践された実践〉として見ることができるだろう。